イラク遊園地シリーズ ドホーク編
撮影2003.10.15


 クルド人地域のドホークは戦闘もなく、穏やかだった。クルド人地域はサダム時代は
自治政府が統治し、上空は米英国が対イラク飛行禁止空域を設定して「守って」いた。
経済制裁の影響もなく、バグダッドなどと比べても物もあふれていた。
 南数十キロにあるイラク第三の都市モスルからは、米兵がバカンスにやってきていた。
モスルではサダムの長男ウダイ、次男クサイが米軍に殺害され、その後も激しい戦闘が続いていたが、
ドホークは穏やかだったので米兵は丸腰でショッピングを楽しんでいた。


10代後半から20代前半にしかみえないあどけない顔をした若者たちが、つかの間の
息抜きをしている。せっかくの休みなのに武器屋でナイフを物色していた。女性兵士の姿も。


 軍服などを取り揃えているミリタリーショップにも米兵たちがいた。チャイを飲みながら
クルド人定員と談笑していた。丸腰の彼らを守っているのは武装したクルド民主党(KDP)
の民兵。
 ちなみに、2005年、イラク移行政府の大統領になったジャラル・タラバニ氏は
KDPから離脱して設立したクルド愛国同盟(PUK)の代表。


 数ヶ月に一回、一週間ほどの休暇がもらえるという。夜遅くまで丸腰で出歩き、プールバーで
ビリヤードを楽しむなどしていた。「モスルは騒がしいからな。ここは安心だ」とすっかりリラックス
した様子。街中にいるイラク駐留米兵のこれほど無防備で気さくな姿を見たのは、2003年4月の
サダム政権崩壊直後くらいだ。


そんなわけで、遊園地も夜遅くまでやっている。クルド人地域は電気も安定して供給されている。
バグダッドではこんな時間まで遊園地は開いていないし、出歩ける地域も限られていた。




暗くなってからも家族連れがやってきて遊んでいた。
バグダッドから同行したイラク人の友人は「家族を連れて来ればよかった。バグダッドでは
こんなふうに安心して家族でのんびりできる場所はないから」とさびしそうに言った。


おおおおおぉぉぉ!と米兵もおおはしゃぎ。お互いにカートをぶつけ合ってはしゃいでいた。
米兵だって普通の若者なのだ。戦争でなければ。


バカンス中の米兵に緊張が走った。
せっかくの休みなのにやっぱり銃を持ってしまうのは兵士の性なのか?


画面をよく見ると日本語が書いてある。日本のゲームセンターからのお下がりのようだ。
ゲーム名「CONFIDENTIAL MISSION(マル秘大作戦)」。 「テロとの戦争」にまい進する
国の兵士としてはこんなミッションを出されたらおとなしくはしておれまい。

モスルは2004年12月に米軍基地が爆破されたほか、2005年3月にはシーア派の葬儀中に
爆破事件
が起きるなど、イラクでも特に激しい地域の一つ。

ドホーク(Dahuk) と モスル(Mosul) の位置関係はこちら


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