バグダッド遊園地シリーズ3 ひとびと編
撮影2003.2.19


 戦前のアル・アブ遊園地は家族連れでにぎわっていた。
このお父さんはバスラに単身赴任中。たまの休暇でバグダッドに帰ると家族と遊園地に来ていた。
バスラでは2003年3月のイラク戦争開戦前から空爆が行われており、日に何度かは空襲警報がなった。
お父さんは、超低空飛行してきた米軍機が巻き上げた小石が手首に当たって怪我をしたという。
当然、空爆によって殺された民間人も多数いた。


一家で楽しめる数少ない娯楽施設だった。


  

一見あまり裕福そうでない家族もよく見かけた。この家族は乗り物には乗らず、観覧車の前に座っていた。とにかく陽気なお父さんだった。
遊園地の入場料は一人150イラク・ディナール(ID)。当時、1ドル=約2500ID、一家の平均収入が10ドルほどと言われれいた。
乗り物ごとに払うシステムなので、裕福でなくても入場だけしてピクニック気分を楽しむこともできた。乗り物はそれぞれ一人150−250IDほど。


そうはいっても基本的にはみるからに裕福そうな家庭の人が多い。
多くの若者たちがデートを楽しんでいた。


野郎どうしじゃやっぱりアホっぽくなってしまうよね。
愛すべきイラク青年よ。


日本人といっしょに記念撮影どう?と言って荒稼ぎしたカメラマンおやじはホクホク顔で最後までついてきた。


観覧車。若者は元気だ。立っちゃ危ないよ。


デートの若者だらけ。つくりものかと思うほどの美女も。


世俗国家イラクではこれくらいはできた。


お父ちゃんそっくりのムスタファくん。お父ちゃんも息子がかわいくってしょうがないらしい。


午後7時すぎ。明々と電気がともり、まだまだ賑わいは続く。


 治安のよかった戦前のバグダッドでは夜遅くまで子どもづれが街に出ていた。
アル・アブ遊園地も午後9時まで営業していた。
 サダム政権崩壊直後に知り合ったイラク人は、「まもなく戦争が始まるというころに、
家族をつれて遊びに行った。穏やかなうちに家族で楽しみたかったから」と話していた。




遊園地スタッフのおやじととお菓子売りの青年。素朴でいいひとびとだった。




この日から約一ヵ月後、イラク戦争は開戦した。

                                    トップページ>写真>イラク










SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送